忘れられた人道的危機

国境なき医師団から「メディアに忘れられた人道的危機」というレポートが届いた。
英文タイトルは「Top 10 Most Underreported Crises of 2007」。
医師団に寄付を始めてから、もうかれこれ10年くらいになるだろうか。
寄付金は年間4万円にも満たないが、栄養治療食(RUF)なら75kgくらいにはなると書いてある。
でもそれが、重大な危機に直面した人たちにとって、どの程度の足しになっているのかは知る由もない。
開封し、レポートに目を通す数分間は、どうしようもないもどかしさや後ろめたさが生起してくる時間でもある。
世の中には私財のすべてを、あるいは自分の命の安全を擲ってでも援助に向かう人たちがいる。
なぜ自分にはそれができないのか、それをしようとしないのか。

堕落論 (角川文庫)

堕落論 (角川文庫)

大人の世界における貴族的性格というものは、その悠々たる態度とか毅然たる外見のみで、外見と精神に何の脈絡もなく、真の貴族的精神というものは、また、おのずから、別個のところにあるのである。躾けよき人々は、ただ他人との一応の接触において礼儀を知っているけれども、実際の利害関係が起こった場合に、自己を犠牲にすることができるか、甘んじて人に席を譲るか。むしろ他人を傷つけて自らは何の悔いもない底の性格を作りやすいと言い得るであろう。
(by坂口安吾氏)

安吾のテクストが、心に突き刺さる。
レポートに同封されたアンケートに、医師団を支援する理由は?という質問があった。
回答が7つほど用意されているが、どれも当てはまらない。
自由記述の欄に「人道的危機を見てみぬふりし、ぬくぬくと日々暮らしていることに対する贖罪」と書いた。

けだし、大人の世界に於いて、犠牲とか互譲とかいたわりとか、そういうものが礼儀ではなしに生活として育っているのは淪落の世界なのである。淪落の世界においては、人々は他人を傷つけることの罪悪を知り、人の窮地に哀れみと同情を持ち、口頭ではなく実際の救い方を知っており、また、行なう。また、彼らは人の信頼を裏切らず、常に仁義というものによって自らの行動を律しようとするのである。
(前掲書より)

安吾の言うとおりに違いない。
しかし、今の自分には、自分の有り様に対して、罪悪感という名のもどかしさや後ろめたさを抱えながらも、我欲に棹さされて生きていくことしか、できそうにない。
脚下照顧、少なくとも「自分を棚上げすること」だけはしないように生きていきたい。