オトナのチカラ

moriyasu11232009-09-28

昨日、長男長女が所属する保育園の保護者が自宅近くにある別所沼公園に集まり、今週土曜日に予定された運動会で行われる「綱引き(年長組保護者チーム)」の練習会が挙行された。
総勢60名近くの親子が集まり、パパ達が真剣な面持ちで綱引きの練習をしている傍らでママや子ども達が叱咤激励している姿は、端から見れば一種異様な光景であったに違いない(当事者なのでわからないけど…)。
練習会では、インターネット等で集められた綱引きの「コツ」情報をもとに、縄をもつ姿勢、握り方および引き方の等の確認&身長や体重別のチーム分けによる様々なシミュレーションが展開される。
1時間強の練習を終えていったん帰宅。
泥だらけになった体を洗い流し、夕刻から「反省会(と称する飲み会)」に参加。
多少の入れ替わりはあったものの、練習会とほとんど同じ数の参加者が、いちげん中浦和店にある柔道場と見紛うような大宴会場に参集する。
乾杯を終えると、(自然に?意図的に?)パパ、ママ、そして子どもに分けられたエリア毎に、日々の生活に関わる重要な案件が報告&議論されていく(嘘)。
議論が一段落すると、ママ達主導で子ども達の応援旗の作成作業に入ったり、一見飲んだくれているだけにみえるパパ達も、誰とはなしに子ども達の相手をしては席に戻って雑談(飲酒)を再開するなど、まさに「半分かまう(by吉本隆明)」を地でいくような活動が展開されていた(ホンマかいな…)。
子どもの(体力)問題については、これまでに「体力低下問題のモンダイ」や「大人モンダイ()」において、すべからく「大人の問題」であることを強調した拙論を展開してきた。
しかし、練習会や反省会の様子をみる限り、子どもを「私たちの宝」ではなく「私だけの宝」として私物化し、自分の家族以外の存在を顧みないような雰囲気は一切ない。
我々オトナ達も、まんざら捨てたものではない(自画自賛!)。
閑話休題
スポーツ行政は、このような自発的な地域の活動が、組織化された「(スポーツ)クラブ」に展開されていくことを指向しており、恐らく「総合型地域スポーツクラブ」は、そのゴールのひとつとして位置づけられているのであろう。
しかし同時に、例えば今回の「練習会」のような活動を契機として、発展的に「(スポーツ)クラブ」のような組織化された活動母体を目指したときに、果たしてこれだけの家族が集まり、これだけの盛り上がりをみせるのだろうか、という素朴な疑問も沸いてくる。
子ども達は、卒園後に4〜5カ所の小学校に分かれてしまうため、親子共々に交流する機会は激減するだろう。
そして、子ども達が成長していくにつれて、家族の中の活動も少しずつ分散されていくに違いない(それを成熟と呼ぶ)。
小学生以上の子どもをもつ知人や友人から「今が一番いい時期だね…」とよく言われる。
この言葉の意味を、幼い子どもの可愛らしさや無邪気さを懐かしんだものであろうと考えるのは半解で、本当はもう少し含蓄のあるレトロスペクティブなのかもしれない。
そう考えると、私を含めた参加者は、そのことに意識的か無意識的かはさておき、今年の年長組としては最初で最後になる「綱引き」というキーワードに引き寄せられながら、残された僅かな親交の「場」を愛おしんでいたと言えるのかもしれない。
換言すれば、この「一回性」の儚さゆえに、これだけの多くの人たちが集まったのではないか、とも思われるのである。
畢竟、「一期一会」とはそういうことなのかもしれない(違うかもしれない)。
無論、このような「一回性」の活動をきっかけとして、多くの人たちが「(スポーツ)クラブ」の設立や運営といった活動に内発的に動機づけられていくことは、斯界の人間にとって「とってもウェルカム」なことではある(それはそれで愉しそうだし…)。
ともあれ、土曜日の「綱引き」が、サッカー日本代表などとは比較にならないくらいの大きなプレッシャーを背負った「絶対に負けられない戦い(byテレ朝)」になったことだけは確かである。
ブドウ組の皆さん、大変お疲れ様でした。土曜日、気張りましょう!