アサファ・パウエルの憂鬱(その2)

moriyasu11232008-03-18

先のエントリー(その1)からの続き。
「病」とは、「何事も心の一すぢにとどまりたる」こと、すなわち「固着すること」である(by柳生宗矩)。
武道における禁忌に「居着き」というものがある。
「居着く」とは、文字通りには足裏が地面に張り付いて身動きとれない状態を指す。
要するに、緊張のために身体がこわばって運動能力が低下することを意味する。
言い換えれば、相手は次にどう出るのか?という「待ちの姿勢に固着してしまう」ことである。
この状態に陥ると、相手から何かが届くのを「待つ」よりほかなくなる。
これが、常に相手に「先(手)を取られる」という「必敗の様態」に追い込まれる理由である、と宗矩は言う。
「居着き」をもたらす心理的素因は無数にあるが、最も致命的なストレスは「恐怖」である。
フロイトによれば、人間は「正体が分かっているものには<恐怖>を感じ、正体が分からないものには<不安>を感じる」ものらしい。
パウエルは、大阪世界陸上の決勝レース中盤に「ゲイの足が見えて…自分は速く走っているはずなのに何故?…もっと速く走らなければ…」と思っていたようである(本人談)。
おそらく彼は、後半追い上げ型のゲイという存在への「恐怖」と、並ばれた時点で勝利が覚束なくなったことに対する「不安」を感じたことによって「居着き」、結果的に自身のパフォーマンスを最大化(最適化)できなかったと思われる。
これを「プレッシャーに弱いからなぁ…」とか「調子が悪かったんでしょ…」といったコメントで片付けるのは簡単だ。しかし、そもそもこのような「敵」を勘定にいれた準備をしていたか否か、その準備の仕方如何によって結果も変わり得たのか否かについては、大腰筋の大きさや腱の固さ、はたまたエクスプローシブスタート(すごいネーミング)以上に興味をそそられる。
番組では、レース中盤のパウエルの様相について生理心理学的な視点での解説もなされていたが、おそらくそのことだけでは「居着き」の本質には迫れない。
この「居着き」の素因については、この60m付近で兆候化した「居付き」よりも前、例えば30〜60mの走り、スタートから30mの走り、さらにはスタート前までの準備、準決勝や予選の走り、当日の朝、さらには…と、「居付き」が回避可能であったと考えられる分岐点までレトロスペクティブに分析する必要がある。
こういう「居着き」状態を回避する手段のひとつとして、いわゆる「メンタルトレーニング(略してメントレ)」なるもの推奨されている。
パウエルに「メントレ」を提案したいとウズウズしている専門家は少なからずいると思われる。
しかし、方々には大変残念なことであるが、番組では、彼がレース前日の夜にホテルの自室でベッドに横たわり、枕元のライトをちかちかと点滅させながら「俺に勝てる奴はいない!」「俺は史上最強!」といった自己暗示(メントレの一種?)をくりかえす映像も流されていた。
既に、それなりには(メントレを)やっているということである。
となると、パウエルに「違うメントレ」を提案したいとウズウズしている専門家…(以下同文)。
現職に就いてから約8年間にわたって、日本オリンピック委員会JOC)の委託研究事業「メンタルマネジメントに関する研究班」のマネジメントを担当していた(マネジメントのマネジメント??)。
このプロジェクトでは、各五輪大会の前後に代表選手に対するアンケートを行うのが通例だった。
結果を概観すると「心理的な問題は競技にとって重要だと思うか?」という問いに対しては、ほとんどの選手が「Yes」と答えるが、「メントレ(サポート)を受けてみたいか?」という問いには、ほとんどの選手が「No」と答えていた(最近のことは知らない)。
この結果は、「重要だと思っている=メントレに対するニーズの高さ」であり「受けたいと思っていない=メントレに対する理解の浅さ」と解釈されていたが、果たしてそうなのだろうか。
宗矩の言を再録する。

兵法家伝書―付・新陰流兵法目録事 (岩波文庫)

兵法家伝書―付・新陰流兵法目録事 (岩波文庫)

かたんと一筋におもふも病也。兵法つかはむと一筋におもふも病也。習いのたけを出さんと一筋におもふも病也。かからんと一筋におもふも病也。またんとばかりおもふも病也。病をさらんと一筋におもひかたまりたるも病也。何事も心の一すぢにとどまりたるを病とする也。
(by柳生宗矩氏)

勝とうと思うことも、相手の裏をかくことも、習った技術を出し切ろうと思うことも、機先を制そうと思うことも、後手で勝とうと思うことも、そもそもこんな風にあれこれ考えるのは止めようと思うことも、全てが「病」…すなわち「居着き」を誘発し運動能力を低下させる要因として働く、と宗矩は喝破する。
となると、その「病」を回避するという課題を「メンタル」の次元のみで考えている限り、私たちはエンドレスのアポリアに陥ってしまう(そういう選手も散見される)。
では一体どうすりゃいいのだ?
ということで、すみませんがつづく…(こ、これは日記なのか?2)