スピードスケート五輪代表決定&大晦日

moriyasu11232013-12-31

日本スケート連盟は29日、来年2月に開催されるソチ五輪の日本代表選手を発表した。男子はバンクーバー五輪銀メダリストの長島圭一郎、同銅メダリストの加藤条治(ともに日本電産サンキョー)ら7人。女子はすでに代表内定していた小平奈緒相沢病院)や、田畑真紀(ダイチ)ら10人が選出された。
バンクーバー五輪に15歳で出場した高木美帆日本体育大)は選出されず、姉の菜那(日本電産サンキョー)が代表入りを果たした。
スピードスケートのソチ五輪代表メンバーは以下の通り。
【男子】
長島圭一郎日本電産サンキョー):500メートル
加藤条治日本電産サンキョー):500メートル
及川佑大和ハウス工業):500メートル
上條有司(日本電産サンキョー):500メートル
山中大地(電算):1000メートル
近藤太郎(専修大):1000メートル、1500メートル
イリアムソン師円(山形中央高):5000メートル
【女子】
小平奈緒相沢病院):500メートル、1000メートル
辻麻希(開西病院):500メートル、1000メートル
住吉都(ローソン):500メートル、1000メートル
田畑真紀(ダイチ):1500メートル、チームパシュート
菊池彩花富士急行):1500メートル、チームパシュート
押切美沙紀(富士急行):1500メートル、チームパシュート
高木菜那日本電産サンキョー):1500メートル、チームパシュート
藤村祥子(宝来中央歯科):3000メートル、5000メートル
穂積雅子(ダイチ):3000メートル、5000メートル
石澤志穂(トランシス):3000メートル、5000メートル
(2013年12月30日 スポーツナビ加藤、小平らがソチ五輪スピードスケート代表 高木美帆は落選より)

12月28日から1泊2日の日程で、スピードスケートのソチ五輪代表最終選考会を観戦。
エムウェーブ内にいるスノーレッツと4年ぶりの記念撮影。

↓ちなみに4年前。

スケート界もスノーレッツも4年間で順番が若干入れ替わっている。
岡崎朋美選手は、500mのレースをもって引退(お疲れ様でした)。

「岡崎さんと滑れて幸せだった」
長きに渡りスピードスケート界をけん引してきた岡崎の魂は、現エースの小平奈緒相澤病院)に受け継がれる。すでに500メートルでソチ五輪出場の内定を得ている小平は1回目に38秒21、2回目は38秒17と両方ともに1位のタイムを記録。貫録の滑りで優勝を果たしたが、「体がはずむ感じがなくて、少し動かなかった」と唇をかんだ。そんな彼女を励ましたのが岡崎だった。「奈緒ならできるよ」。その言葉に涙が溢れた。
小学校5年生の時に地元・長野県で開催された五輪をテレビで見た。そこには銅メダルを獲得する岡崎の姿があった。この時から五輪でメダルを取ることが小平の目標となった。それはバンクーバー五輪でかなうことになる。個人戦こそ500メートルは12位、1000メートルと1500メートルで5位と表彰台には届かなかったが、女子団体パシュートで日本女子スピードスケート界で初となる銀メダルに輝いたのだ。
ソチ五輪で狙うのは当然、個人でのメダル獲得。「バンクーバーでは12位でした。岡崎さんも初出場のリレハンメルは14位でしたけど、2回目の長野で銅メダルを取った。私もできれば岡崎さんを超えたい」と決意を語った。
岡崎はそんな後輩を頼もしく感じている。
奈緒は本当に頑張り屋さんなので、掛ける言葉なんてないです。本当はソチに行って近くで応援したかったんですけど、それはかなわなかったので、陰ながらプッシュします。彼女ならやってくれると思います」
小平も、岡崎に対して感謝の気持ちを述べた。「岡崎さんがいなかったら、自分もここまでにはなっていないです。一緒に滑ることができて幸せでした」。憧れの存在だった大先輩から受け取った“バトン”を胸に、小平はソチに向かう。
(2013年12月29日 スポーツナビ岡崎朋美が小平奈緒に渡した“バトン” 受け継がれていくエースの魂」より抜粋)

小平選手の二度目の五輪パフォーマンスに期待したい。
そしてもう一人の注目選手がコチラ↓

◇スピードスケート・山中大地(23)=電算
異色の経歴を持つ頭脳派スケーターだ。女子短距離界エースの小平奈緒(27)=相沢病院=の練習相手で知られてきたが、今季は自らの才能を開花。男子1000メートルの五輪切符が手に届く所にいる。
10月の全日本距離別選手権1000メートルで初優勝。日本代表として今月16日のワールドカップ(W杯)ソルトレークシティー大会の同種目では、格下のBクラスで1分9秒30で14位に入り、日本の五輪出場枠をほぼ確実にした。高速リンクだけにカーブを曲がりきれずに転倒する選手も相次ぐ中、「全力を出すと失敗するので、9割の力で確実に枠を取りに行った」。枠取りに必要なラップを計算し、冷静にまとめた。
レタスとスケートで知られる長野県川上村出身。「クラスの半分がしていた」スケートを小3で始めた。中学時代に長距離で全国トップクラスになったが、強豪校へは進まず、電子情報工学を学ぶため5年制の長野高専へ。当時から指導する信州大教授の結城匡啓コーチは「大会2日前でも徹夜でリポートを仕上げる生活だった」。それでも3年時に高校総体で1000メートル、1500メートルを制した。
2011年春に卒業後、スポンサーが見つかるまでの1年間は信州大職員として結城コーチの動作分析など研究を手伝った。小平の練習相手に抜てきされ、氷上練習では先導。体幹強化に取り組む小平に触発され、まねた。結城コーチが小平に付いて海外遠征中は、自分で練習メニューを組み立てた。フォームは映像で分析。「上半身と下半身の連動がバラバラだった」昨季から、きっちり修正してきた。
五輪出場には、12月下旬の代表選考会を勝ち抜かなくてはならない。その先のソチでは世界の厚い壁が待つ。「1000メートル以上の種目で日本男子は世界に置いていかれている。自分たち若手が引っ張っていきたい」。あがり性の口べただったが、実績を積み、随分、舌も滑らかになってきた。【藤野智成】
(2013年11月28日 毎日新聞東京夕刊「ソチへ2014:スピードスケート・山中大地 練習相手経て開花」より抜粋)

山中選手は最終選考会を制して堂々と代表の座を獲得。
がんばれニッポン!・・・じゃなくて選手達!
* * *
今年1年で33,000を超えるアクセス(ページビュー)を頂きました(ありがとうございます)。
なかなか更新もままなりませんが、来年もご笑覧のほどよろしくお願いします。
よいお年をお迎えください。

レース(ペース)戦略の解体と再構築(その2)

moriyasu11232013-12-03

その1」から1ヶ月以上もの時間が経過しているにもかかわらず…つづき。

このテストを行って、「今回は積算距離が○○mだったから、推定タイムは○○か」ということだけで終わってしまっては、ほとんど意味がありません。1952年ヘルシンキ五輪長距離3冠王のエミール・ザトペックは(…)「(スピードの)予習」の必要性を強調していますが、コスミンテストを「予習」と考えれば、「復習」としての振り返りもきちんと行って、さらに次のトレーニングにつなげていくという流れをつくる必要があります。(…)
陸連合宿では、テストを実施した日の夜に選手とスタッフが集まってミーティングをする時間を設けています。選手に残っている走りの感覚に、映像やデータなどの情報を盛り込みながら、反省材料を多角的に提供していくイメージです。それぞれの選手が、自分の走りの意図や感想などを述べ、それに対してスタッフもコメントやアドバイスをするなかで、選手自身だけでは気がつかなかったことをいくつか持ち帰ることができているのではないでしょうか。
(拙稿「(特別報告)陸上競技・中距離におけるコスミンテストの可能性」コーチング・クリニック2010年6月号より抜粋)

『「教養」というのは、「生」の知識や情報のことではない。そうではなくて、知識や情報を整序したり、統御したり、操作したりする「仕方」のことである。(by内田樹氏)』
とりわけ「人間」が「身体」を用いて行う「スポーツ」を「科学」するためには、「木(部分)を見て森(全体)も見る」というフットワークが必要であり、そのようなプロセスによって錬磨された「実践知」でなければ、たとえ科学的で高級そうに見えるエビデンスであったとしても、ほとんど使い物にならないのである。

バカの壁 (新潮新書)

バカの壁 (新潮新書)

自分で一年考えて出てきた結論は、「知るということは根本的にガンの告知だ」ということでした。学生には「君たちだってガンになることがある。ガンになって、治療法がなくて、あと半年の命だよと言われることがある。そうしたら、あそこで咲いている桜が違って見えるだろう」と話します。
この話は非常にわかり易いようで、学生にも通じる。そのぐらいのイマジネーションは彼らだって持っている。その桜が違って見えた段階で、去年までどういう思いであの桜を見ていたか考えてみろ。多分、思い出せない。では、桜が変わったのか。そうではない。それは自分が変わったということに過ぎない。知るというのはそういうことなのです。
知るということは、自分がガラっと変わることです。したがって、世界がまったく変わってしまう。見え方が変わってしまう。それが昨日までと殆ど同じ世界でも。
(by養老孟司氏)

「人間」は、ひたすら動いていて「とどまることを知らぬ存在」である。
そして「情報」は、すべて脳を経過して作られた「完全に停止したもの」である。
この考え方は、少なくとも中世の日本では常識であり、このコントラストを中心に人生を考えていくのが、中世の人々の生き方であっただろうと養老氏はいう。
何故に「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり(by平家物語)」といわれたかといえば、それは鐘の音に耳を傾けている私たち人間が「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず(…)世の中にある人と栖(すみか)と、又かくのごとし(by方丈記)」と喩えられる「動的平衡」的存在であるからにほかならない。

日本軍のインテリジェンス なぜ情報が活かされないのか (講談社選書メチエ)

日本軍のインテリジェンス なぜ情報が活かされないのか (講談社選書メチエ)

「情報」という言葉自体にも若干の注意が必要である。そもそも英語では「情報」を示す語として、「インフォメーション」と「インテリジェンス」がある。前者はただ集めてきただけの生情報やデータ、後者が分析、加工された情報になる。例えば天気予報において、湿度や気圧配置といったものはデータ、つまり「インフォメーション」であり、そこから導き出される明日の天気予報が分析済みの情報、すなわち「インテリジェンス」である。
(by小谷賢氏)

小谷氏は、日本の組織が官民を問わず「インテリジェンス」の使い方が不得手であると指摘するが、その原因の一つに、日本には「情報」という言葉しか存在しないため、「インフォメーション(information)」と「インテリジェンス(intelligence)」が混同されていることを挙げている。
明日の外出を考えるとき、私たちが拠り所にするのは「気圧配置や湿度(インフォメーション)」ではなく、私たちの行動に対して何らかの指針や方向性(判断)を与えてくれる「天気予報(インテリジェンス)」である。

現在でこそ練習を動画やデジカメで撮影し、確認しながら自分のフォームを探るのは一般的になったが、野村の現役時はまだビデオカメラもない時代だった。そこで、野村は“エアビデオ”を開発する。宿舎で同部屋になった選手の前でバットを振り、グリップの位置、スタンスの広さ、バットの軌道を目に焼き付けるように頼んだ。自分で確認できないため、同僚にフォームのブレがないかどうか、寝る前にチェックしてもらっていたのだ。「選手は自分の感覚だけでやっていたような時代」に、野村は自身を客観視するすべを持っていた。(…)
ヒットを打った打者はその打席について忘れても、打たれた投手は「次こそはやり返してやる」と苦い記憶を脳裏に刻み込む――野村は先輩の言葉をヒントに、相手投手の視点に立った。
当時の南海では、毎日新聞の記者だった尾張久次が球界初のスコアラーを務めていた。野村は自身に対する相手投手の球種、コースをすべての試合で出すように頼み、12種類別のストライクカウントに当てはめた。(…)1957年と58、59年の2年間を比較すると、相手の攻め方が変わっていた。(…)それを数値に置き換えることで客観視でき、あらためて事実に気づくことができた。そうして生まれたのが「データ」という概念だ。当時は「データ」という言葉はなく、「傾向」と呼ばれていたという。
(2013年02月26日 中島大輔「ノムさんの人生が示す、「一流」と「二流」の差 妥協、限定、満足は禁句」より抜粋)

投手のクイック投法、ストライクゾーンを9分割する配球表など、日本球界に独自の方法論を定着させてきた野村氏の代名詞は「ID野球」であるが、ここでいう「ID」とは「Important Data」の略称である。
この「Important(Data)」にはすなわち、「完全に停止したもの」である「情報」を、「とどまることを知らぬ存在」である「人間」が有効活用するために必須の「手続き」の存在が含意されている。
『「どうするか」を考えない人に、「どうなるか」は見えない(by野村克也氏)』
天気予報が、そのままでは使えない「生情報(データ)」の長きにわたる蓄積と分析方法の開発によって飛躍的に精度を高めてきているように、「インフォメーション」を行動(変容)のために使うことのできる「インテリジェンス」に変換するためには、明確な目的意識を持った「情報」の収集と取捨選択、そして目的(目標)の達成に向けた分析と評価が必要となる。

日々直面する実際のトレーニングでは、「習熟」と「強化」もしくは「技術」と「体力」との2つの相補的な側面がトレーニング課題として指(志)向され、その指向性は意図的にせよ無意識にせよ目まぐるしく切り替わり、極めて不確定性に富んだ現象であるのが実際である。その指向性を条件付けるのは、トレーニングへの課題意識(自覚性・主体性)と共に、運動強度を規定する主観的な「努力度」にある。その理由は、努力度が高いほど強化的もしくは体力面への指向性が高まり、意識は運動の客観的出力の増大へと集中するためである。その逆に、努力度を低くするほど習熟的もしくは技術面への指向性が高まり、意識は運動修正や習熟への集中へと向け易くなる。しかし、運動強度は相対的な関係でもあるので、実際には強度を大きく振り分けることによって、その最大化(超最大)と最大下での相対的な余裕(リラクセーション)が生み出され、技術の精緻化や修正もしくは新たな気付きや発見が可能になる。
(村木征人「相補性統合スポーツトレーニング論序説: スポーツ方法学における本質問題の探究に向けて」スポーツ方法学研究21巻1号より抜粋)

レーニング(科学)の本質は、まず「技術(習熟)」と「体力(強化)」との2つの相補的側面という不確定性に富んだ現象を扱っていることを認識し、その上で運動の「実践」と「観察・分析」を往復しながらの「実践知」と「理論知」の絶えざる更新を指(志)向することにある。

われわれはトップレベルのシニア世代に実施していますが、このテストの対象となる年代に制限はないと考えています。自分の努力感だけで走るわけですから、日常的に行われているトレーニングとは少し目線を変えることができますし、中学生・高校生が行ってもよいのではないでしょうか。
あとは、例えばチーム単位でデータを蓄積していくと、チーム独自の評価基準ができ上がっていくことにつながるでしょう。なかには、「コスミンテストでは走れるけど、実際の800mが走れない選手」や、その逆のタイプの選手もいるかもしれません。日ごろのトレーニングを見ている指導者であれば、テスト結果と付け合わせることでいろいろな気づきが生まれてくることも考えられます。
そういったことを通じて、コスミンテストと実際のパフォーマンスとの間にあるものは何かということについても議論されれば、より実践的な取り組みにもつながっていくと考えます。その結果として、さまざまな考え方や実践方法が出てくれば、トレーニング科学の研究としてもさらに深まるのではないでしょうか。
(拙稿「(特別報告)陸上競技・中距離におけるコスミンテストの可能性」コーチング・クリニック2010年6月号より抜粋)

選手や指導者は、「現実の世界で実際に観測されている事実・事象」をもとに、「仮説」すなわち「頭の中で考えられた検証される前の理論」をたててトレーニングを進めていく。
そして、頭の中で考えた「仮説」の妥当性を、トレーニングや試合でのパフォーマンス(事実)とつけあわせつつ検証するという作業の繰り返しによって、「実証された事象間の関連(こうすればああなる)」としての「理論」が構築される。
この「理論」は、「信じつつも疑う」という矛盾した実践の中で、より洗練化していく必要がある。

「わかる」ことは「かわる」こと

「わかる」ことは「かわる」こと

本当に「わかる」ためには自分の行動を変えてみて「かわる」ことで「わかる」しかないことがわかっていない。逆に思考が変わってしまえば、行動も変わらざるを得ないということがわかってないんですよね。だから、知識が自分をすこしも変えずに「ただの知識」になってしまう。
「じゃあどうしたらいいんですか」じゃなくて、いま言ったことをまずはやってみてくださいって思います。(…)他人の話を聞いて「まずやってみよう」とか「考えてみよう」と自分を変える人がすくないのは本当に気になります。(…)
結局は自分で実際に行動する以外に「わかる」ということはないと思います。行動を変えないかぎり思考が変わらない。(…)逆にいえば思いが詰まってなかったら行動も薄っぺらで何も動かすことはないし、人生も薄っぺらになるということです。それくらい思考が行動に影響するのだし、行動が変わらなければ考えを変えられたことにもならないということです。
(by養老孟司氏)

一度自分の限界を超えることができた人間は、必ずその「自分の限界を超えたやり方」に固執するが、優れたアスリートや指導者は、再び自らの限界を超えるためには「変化の仕方自体(方法)を変化させる」ことが必須であることを知っている。

エースの品格 (小学館文庫)

エースの品格 (小学館文庫)

プロセスをかたちづくる中心には「思考」がある。それは人間にしか備わっていない崇高な能力である。思考が行動を生み、習慣となり、やがて人格を形成し、運命をもたらし、そして人生をつくりあげていく。ようするに、思考即ち考え方は人として生きていくうえでの起点となる概念であり、教育し、経験を積ませることでその重要性に気づかせることが「育成」の基本である。
(by野村克也氏)

新たなレース(ペース)戦略の獲得に向けて「変化の仕方自体を変化させる」ことは、自身の身体システムの「構築」と「解体」という矛盾に引き裂かれながら知的/肉体的フレームワークを再構築し続けることにほかならない。
このフレームワークの再構築には、必ず知的/肉体的「酸欠状態(苦しさ・違和感)」がつきまとうが、この「酸欠状態」こそがトレーニングにおける「過負荷」の本質であり、新たな「インテリジェンス」を生み出すための必須の手続きでもあるといえるだろう。
「学ぶ(わかる)」ということは、「情報」が並列してデータベース化されていることではなく「自分(の行動)が変わる」ということ。
コスミンテストは、そのきっかけづくりのひとつになると思われるのである。

レース(ペース)戦略の解体と再構築(その1)

moriyasu11232013-10-25

横田真人選手が、小野友誠氏の持っていた男子800mの日本記録を15年ぶりに更新(1分46秒16)してからおおよそ4年の歳月が過ぎた。
更新の前後から今日に至るまで、日本10傑の平均記録やジュニアのレベルは着実に上がっているが、日本記録の更新は4年間おあずけになっている。
そこで、3年前の月刊陸上競技5月号に掲載された「(陸上競技のサイエンス)中距離走における予習トレーニング 〜Kosmin Test(コスミンテスト)の活用〜」と、コーチング・クリニック6月号に掲載された「(特別報告)陸上競技・中距離におけるコスミンテストの可能性」というインタビュー記事を抱き合わせて、今一度「コスミンテスト」をネタに中距離走のトレーニングについて考えてみようというのが本稿の趣旨である。

2009年10月18日、日本体育大学最終フィールド競技会の男子800mにおいて、横田真人選手(富士通)が15年ぶりに日本記録を更新した。また、2位の口野武史選手(富士通)も1分46秒71と、ベルリン世界陸上参加標準B記録(1分46秒60)に迫るパフォーマンスをみせた。
これら記録更新は、もちろん選手達の日々のたゆまぬ努力のたまものであるが、日本陸連中距離ブロックに関わる強化委員と科学委員の連携によるサポートの貢献も少なからずあるといってよいだろう。(…)
科学委員会が行ったレース分析結果によると、日本の800m選手の多くは、世界レベルの選手に比べて200m〜500mあたりの速度低下が顕著であることが示唆されている。これはシニアの大会のみならず、インカレ、インターハイほか多くのレースにみられる共通の特徴であることから、選手の特徴というよりも国内レースの特徴であるということができる。
このようなレースパターンは、「勝負」や「失敗回避」を優先したペース配分であるともいえるが、あくまでも「記録」を競う競技であること、そして心理的および技術的な影響をも考え合わせれば、そのようなレースを繰り返すことによる「負の学習効果」も看過できない。
かねてから選手および強化&科学スタッフの間では、上記のような問題についての共通理解および危機感が共有されていたが、このような「理論的な予習」をいかに「実践的な予習」へと展開していくかが大きな課題となっていた。
そこで中距離ブロックでは、年間数回にわたるペースメーカーをつけたハイペースレースの実施や、春季強化合宿におけるフィールドテスト(コスミンテスト)の導入など、ハイレベルなレースパターンの実践的な「予習の場」を設定することを試みた。
(拙稿「(陸上競技のサイエンス)中距離走における予習トレーニング 〜Kosmin Test(コスミンテスト)の活用〜」月刊陸上競技2010年5月号より抜粋)

コスミンテストは、旧ソ連スポーツ科学者コスミン氏が作成した中距離走(800mおよび1500m走)のパフォーマンステストである。
このテストは、800mであれば1分間走を2本(インターバルは3分)、1500mであれば1分間走を4本(インターバルは1本目と2本目の間が3分で、その後2分、1分)行い、その積算距離から記録を推定するというものである。

<推定式(男子)>
800m推定記録(秒) = 217.4 - (総走行距離 × 0.119)
1500m推定記録(秒) = 500.3 - (総走行距離 × 0.162)
※計算するのが面倒くさい方はコチラ

上記の推定式は、300名を超える多様なレベルのアスリートのレース記録とテスト結果との関係から導き出されている(らしい)。

このテストは、私が知る限り、日本ではそれほど一般的に行われていなかったと思います。私がテストの存在を知ったのも数年前で、日本陸連の中距離部で導入したのは2009年、強化指定選手が集まる強化合宿で実施したのが始まりでした。
陸上競技の場合、試合期前の春季合宿などでは個人のコンディションに応じてトレーニングや調整を行うことが多いのですが、集まるからには合宿に来ないとできないような取り組みを実施する必要があると考えていました。その1つとして、国立スポーツ科学センター(JISS)での測定や研修がありますが、さらに選手たちに共通の課題を扱うようなトレーニングやテスト内容なども検討課題となっていました。
JISSの測定では、いわゆるラボテストとして最大酸素摂取量や乳酸閾値、Maximal Anaerobic Running Test(MART)なども行っていましたが、中距離走のフィールドテストができないかという話になり、このコスミンテストが候補に挙がったのです。
(拙稿「(特別報告)陸上競技・中距離におけるコスミンテストの可能性」コーチング・クリニック2010年6月号より抜粋)

コスミンテストを実施するにあたっては、選手に対して「(2本または4本の)総走行距離が最大になるようにペース配分を考えて走ること」「走行中の主観的な努力感を大切にすること」という留意点を伝えるとともに、「一人ずつ走る」「ラップタイムはよまない」という方法を用いるのが通例である。

1人ずつ行うので時間はかかりますが、スタッフやライバルの選手達が見つめるなかで走るという緊張感もあり、単にテストというだけでなく、いろいろな面でのトレーニングになっていると感じます。また、陸連の科学サポートではレース中のピッチとストライドの分析も行っておりますが、このテストの際にはそれらの分析に加えて、血中乳酸測定なども行っています。
体力的・精神的負荷はかなり高くなるので、選手からは「きつい」という声が上がりますが、回数を重ねるにつれて、選手たちも過去の経験やそのときのコンディションを考えながら、ペース配分を調整するようになっていきます。その前提として、テストに向けて相応の準備をしてくるという流れができつつあります。(…)
もうひとつの大きな特徴は、ラップタイムを読み上げないということです。さすがに突然ストップさせると危険なので最後の10秒だけは読み上げますが、選手は客観的な情報なしに自分の感覚だけで走ることになります。
このテストを導入した理由として、選手同士で競走したり、実際のレース距離を通しで走るわけではないので、テスト結果が思わしくなかったとしても、選手もさほど落ちこまないだろうということもありました。もちろんテスト結果が良いに越したことはありませんが、われわれはこの時期の結果の良し悪しには、それほどこだわりはありません。テストの結果と今の自分の状態や感覚などとを付け合わせる「場」として活用していきたいという狙いがあるのです。
(拙稿「(特別報告)陸上競技・中距離におけるコスミンテストの可能性」コーチング・クリニック2010年6月号より抜粋)

記録の向上に向けたペース配分およびトレーニング課題の設定は、個々の選手の特性や考え方によっても異なるだろう。
しかしながら、このようなテストにおいて自分の感覚(努力感やスピード感)のみを頼りに走り、事後的に通過タイムや走行距離を確認することにより、あらかじめ練ったペース配分と結果との「ズレ」が何に起因するのかについて、効果的に振り返ることが可能になると考えられる。

身体制御のイメージとして、オープンタイプとクローズドタイプのループがあると考えられます。
例えば、ラボテストはあらかじめ決められた速度でトレッドミル走を行うので、自分でペースを作る必要がなく、これ以上は走れないというオールアウト時点が終了となり、それがパフォーマンス評価にもなります。終わりが決められていないという意味で、オープンループといえるでしょう。また、実際のレースは、あらかじめ距離が決められているので、その距離をいかに速く走りきるかという調整が必要となります。ループとしてはクローズドタイプといえます。
一方で、コスミンテストは、走行時間は決められていますが、自分の努力感の調整によって走行距離は任意に変化するという意味で、ループとしては、“半オープン・半クローズド(セミクローズド?)”のようなイメージになるでしょうか。そのなかで選手個々に様々なフィードバックがかかりながら、ペース戦略を練っていく。現在身についているものを壊して、より高いレベルにもっていくきっかけづくりの「場」になるのではないかというのも、このテストの狙いの1つといえます。(…)自分のペース感覚を“安定させる”というよりは、“壊していく”方向性にあるテストだという気がしています。
(拙稿「(特別報告)陸上競技・中距離におけるコスミンテストの可能性」コーチング・クリニック2010年6月号より抜粋)

「ペース(配分)戦略」とは、時々刻々の疲労情報からゴールを予測し、その予測をもとに時々刻々の努力感を調節する「身体制御システム」のことを指す。
このシステムの「安定」は、すなわちパフォーマンスの「安定」を意味するが、パフォーマンスを「向上」させるためには、当然システムの「解体」と「再構築」が必要となる。

選手は、1本目と2本目でそれぞれ「大体このくらいの距離を走りたい」という目標を決めてはいると思いますが、その距離を達成するために走るというよりは、自分の努力感をモニタリングしながら走った結果が目標に近づくというのが理想的です。その結果、あらかじめ定めた目標どおりの走りができたのか、できなかったのか。できなかったとすれば、何が足りなかったのかを振り返ることが重要だと考えています。
例えば、最初の1分間走で470mという目標を決めて、その距離のために1分間で走りを調整しようとすると、結局のところ、前述のループでいえばクローズドタイプに近いものになってしまいます。その意味でも、ラップタイムは読まないようにしているのです。
テストを実施したときの選手の感覚についていえば、一般的には1本目にハイペースで突っ込むと2本目以降は走れないケースがほとんどです。ただし、突っ込んだわりには2本目も結構走れたというケースや、逆に1本目を抑え気味にいったけれど2本目が思ったほど走れなかったというケースもあります。いずれにせよ、選手は「次はどうしようか」と考えざるを得なくなるでしょうし、そこにこのテストの意義があると考えています。
日本の中長距離トレーニングでは、こまめにラップタイム読みながら進められるケースが多いといえます。日頃のトレーニングでも、選手がしょっちゅう時計を見ている場面に遭遇することもあります。そういう練習を続けていると、安定して走れるようにはなるかも知れませんが、設定ペースでの動きのステレオタイプ化が生じてしまい、いつの間にかそのペースや動きから抜け出せなくなってしまうリスクも見過ごせないと考えます。また、普段からラップタイムばかり気にして走っていると、実際のレースが速いペースで進んだときにタイムが耳に入って「速すぎる」と思ってしまい、瞬間的に脳が身体にブレーキをかけてしまうような状態に陥ることもあると思います。
一方で、「努力感」でペースをコントロールしていれば、通常より速いペースでレースが進んでも「この感覚だったら、ついていっても大丈夫」と感じられてブレーキをかけずに済むこともあるでしょう。
(拙稿「(特別報告)陸上競技・中距離におけるコスミンテストの可能性」コーチング・クリニック2010年6月号より抜粋)

苦しさや疲労感といった主観的な情報と走速度との関係によってつくられた脳のプログラムは、常に「安定」や「快適」を求める身体制御システムとの相互関係によって構築されている。
したがって、このプログラムの書き換え作業は、システム全体の解体および再構築を視野に入れながら、戦略的かつ体系的に行われる必要がある。

ラボテストで用いられるトレッドミル走では機械が動くままに身体を動かせばいので、細かいことを考えずに「楽をして走るにはどうしたらいいか」を実践すればいいでしょう。また、実際のレースはさまざまな駆け引きがあるので、時々刻々と感覚的な部分で受け取ることは変わってきます。このテストは、両者の間をつなぐようなものにもなるのではないかと感じています。
また、トレーニングでの集団走や、あらかじめタイム設定されたペース走などでは、誰かについていったり、タイムを聞いたりしながら走りを調整することができます。コスミンテストでは、自分のスピード感や努力感、「走れていそうな気がする」とか「これは速そうだ(遅そうだ)」などといった、まさに主観的な情報のみを参照しながらペースの調整を行いますが、集団走やペース走で同じ機械的負荷をかけるよりも心理的、感覚的な面も含めた質の高い負荷がかかっていると感じています。
(拙稿「(特別報告)陸上競技・中距離におけるコスミンテストの可能性」コーチング・クリニック2010年6月号より抜粋)

横田選手は、日本記録を更新したレースの3日前に、レースペース感覚での500m走(400mを51.3秒通過の64.5秒)を実施しているが、そのときの疲労感はRPEにして「9(かなり楽である)」程度であり、実際にテストを行っていれば935m(1分46秒0相当)くらいは走れただろうと回顧している。
これなどもテストの経験があればこその振り返りといえるだろう。
というわけでつづく。m(__)m

インターバル・トレーニングの有用性

moriyasu11232013-09-25

体育の科学(第63巻9月号)の特集「全身持久力を高めるトレーニング:HIT」に拙稿「心技体の“予習”としての高強度トレーニング ─トレーニング負荷の本質とは─」が掲載された。
特集の意図は、昨今の運動生理学的研究のトピックスとなっている「高強度インターバル・トレーニング」の有用性について、それぞれの筆者が自身の専門分野の視座に立って解説するというものである。
小生は、拙稿「陸上競技・中距離選手のトレーニング負荷の変化がパフォーマンスおよび生理学的指標に及ぼす影響〜走行距離と強度に着目して〜」についての紹介を依頼されたが、いわゆる「インターバル・トレーニング」だけに照準したトレーニング実践のエビデンスを持ち合わせていないことから(そんなものあるわけないけど)、敢えて「HIT=High-intensity training」と定義し、「SIT=Sprint interval training」を含めた「高強度トレーニング」の有用性についての論を展開していた。
ところが、雑誌が届いてみると、なんと著者に“ホウレンソウ”もないまま“無断”で「HIT=High-intensity interval training」と改変されているではないか(唖然)。
細かいことだけど、これではタイトルを含めた論旨の一貫性が保たれない。
ホームページや次号に訂正や正誤表を掲載してもらってもIt's too lateなので、とりあえず元の文章を再掲することとしたい。

<はじめに>
高強度(インターバル)トレーニングの有効性の検証は、運動生理学研究における今日的なトピックスとなっている。しかしながら、Coyle(2005)は,スプリント・インターバル・トレーニング(SIT)の有効性を主張するの論文(Burgomaster et al.,2005)の批評において,「陸上競技における一流中距離選手は、昔(long ago)からSITが持久的能力も改善させることを知っている」とコメントしている。
上記の“long ago”をどこまで溯るかについては諸説あるが、インターバル・トレーニングの世界的な普及は、1952年のヘルシンキオリンピックで5000m,10000m,マラソンの三冠という偉業を成し遂げたエミール・ザトペックに端を発するといわれている。
ザトペックは、インターバル・トレーニングを導入した理由を問われ「私は考えたわけです.繰り返すだけでは復習しかないことと同じだと.予習,すなわち新しいことを習わなければ,進歩がないと.そこで予習とは何だろうと思ったときわかったのがスピードです」(山西,2008)と答えているが、インターバル・トレーニングの本質に迫るためには,「予習」や「スピード」という言葉に含意された問題意識についても深く読み解いていく必要があるだろう.
本稿では,1シーズンを通したSITを含む「高強度の走トレーニング(High-Intensity Training:HIT)」の重点化が生理学的指標や中距離走パフォーマンスに及ぼす影響について検討した事例研究を紹介しながら、HITの有効性やトレーニング負荷の本質について考えてみたい。
<高強度トレーニングの重点化による生理学的指標およびパフォーマンスの変化について>
筆者ほか(2011)は、大学女子中距離走者(S選手)を対象として、大学4年間にわたってMaximal Anaerobic Running Test(MART)やMaximal Aerobic Running Test(VO2-LT test)などの生理学的測定を行うとともに、高校3年から大学4年までのトレーニング日誌の精査によるトレーニング分析を実施した。
分析期間については、2005年12月から2006年11月末までの1年間(大1シーズン)および2007年12月から2008年11月までの1年間(大3シーズン)を対象とし、12月から翌年11月末までの1年間を4ヶ月単位で3つに分け、12月から翌年3月末までを準備期、4月から7月末までを試合期前半、8月から11月末までを試合期後半と定義した。なお、故障のためレースへの出場機会がほとんどなかった大学2年シーズンは分析期間から除外した。
走トレーニング分析については、VO2-LT testの結果をもとに、血中乳酸2mmol/l時の走速度(vLT2)、VO2max相当の走速度(vVO2max)および各期間において最もよい800m走記録の平均走速度(v800m)を基準として、Z1(vLT2未満)、Z2(vLT2以上vVO2max未満)、Z3(vVO2max以上v800m未満)、Z4(v800m以上)の4つのカテゴリーを設定し,各強度別の走行距離を積算した。
S選手は、高校時代から走行距離(量)の確保が重要であるという認識をもっており、大学入学前の準備期から始まる大1シーズンを通して、早朝練習や調整練習(積極的休養)で積極的にロングジョグなどの低強度トレーニングを取り入れていた。
一方、大学入学後のS選手のコーチは、レースペースを基準とするHIT、モデルレースパターンによるレースシミュレーション(技術走)、走運動以外の技術トレーニング(バウンディング,ミニハードルを用いたドリル,レッグランジ、スキップ…)などを重視するコーチングを実践していた。
この背景には、コーチ自身が手がけていた800m走のモデルレースパターンに関する研究成果(門野ほか、2008)に加えて、ランニングエコノミーをはじめとする持久的能力の改善にSITやプライオメトリクスが有効であること(Billat,1999;Burgomaster et al.,2005;Gibala et al.,2006;Spurrs et al.,2003)、さらには低強度・長時間の走トレーニングがもたらすダイナミックステレオタイプ化によるスピードや技術の頭打ち(村木、2007)などへの問題意識があったといえる。
大3シーズンのトレーニングの最大の特徴は,日本選手権など高いレベルの試合におけるレース前半からの速いペースに対応することを最重要課題として、準備期から積極的にHIT(Z4のインターバル・トレーニング)を導入したことと、1シーズンを通して完全休養日や走トレーニング以外の技術トレーニングの頻度を大幅に増やしたことにある。

大1シーズンと大3シーズンの走行距離を比較してみると,1シーズンの総走行距離は大幅に減少(3540km→2053km)し,期分け毎の内訳をみると準備期,試合期前半,試合期後半でいずれも約40〜50%減を示しているが,そのほとんどはZ1(3076㎞→1664㎞)とZ2(199㎞→74㎞)という,いわゆる低強度(vVO2max未満)トレーニングの減少によるものである(図).一方,HIT(Z4)の走行距離は約35%(170㎞→232㎞)もの増加を示しているが,特に準備期における増加(26㎞→76㎞)によるところが大きい。また、HITの積極的な導入(低強度トレーニングの半減)にともない、完全休養日(37日→72日)や走トレーニング以外の技術トレーニング(14回→40回)の頻度が大幅に増加している(表1)。

このような1シーズンを通した大胆なトレーニング負荷の変更を行った結果,大3シーズンでは大1シーズンにマークしたPB記録を1.60秒更新(2分08秒03 → 2分06秒43)し、「競技的状態(sports form)」の判定基準とされているシーズンベスト(SB)記録のマイナス2%レベル(村木、1999)以内を達成したレースの平均記録も2.23秒(2分09秒60 → 2分07秒37)の向上を示している.このことは,S選手の中距離走パフォーマンスが大3シーズンにおいて向上したことを示しており,かつ試合期前半(6月)にマークしたPB記録(2分6秒60)を試合期後半(9月)に再び更新(2分6秒43)するなど,試合期を通じて競技的状態が維持されていたとみることができる。
また、MARTおよびVO2-LT testに関する指標のほとんどが大1シーズンの同時期との比較において向上を示しただけでなく、大3シーズンの準備期から試合期にかけて,無気的能力(スピード)に関連が深いとされるMARTの指標はもとより,vVO2maxやvLT4などの有気的能力(持久力)の指標にも向上傾向が認められた(表2)。
これらの結果は、1シーズンを通してHITと休養および走運動以外のトレーニングを効果的に組み合わせることによって、総走行距離がおおよそ半減しても、準備期から試合期にかけて起こるとされる有気的能力(持久力)と無気的能力(スピード)のトレードオフを回避しつつ、800m走パフォーマンスを向上させることが可能であることを示唆しているといえる。
レーニング負荷は,いわゆる体力論的には,運動の強度,時間,頻度および休息時間などによって決まるとされているが,そのトレーニング(運動)で“同時に”考慮されている心理的・技術的要素の多寡によって得られる効果は異なると考えられる.一例を挙げれば,S選手が大3シーズンを通して積極的に取り組んだ「技術走」は,レース分析のデータをもとにモデルペースを想定し,800m走のスタートからオープンコースになる120mまでをスムーズに加速しつつ,さらに集団での位置取りポイントとなる200m通過あたりまでを「効率よく(楽に速く)」通過するための運動技術を身につけることに主眼を置いたトレーニングである.しかしながら,この「技術」トレーニングも、実施する距離や本数、休息時間などを変化させれば負荷の異なる「体力」トレーニングになるだけでなく,レースシミュレーションとしての正確性を追求することによって「心理」的なトレーニング効果を引き出すことが可能になるのである。
したがって、S選手のトレーニングプロセスを読み解く際の要諦は,限りなくトレーニング実践の「質(的負荷)」を高めようとした結果、走速度や走行距離などの「量(的負荷)」が変化したという因果の関係性を過たないことにあるといえるだろう。
<高強度トレーニング(HIT)の有効性>
一般に,陸上競技のトレーニングにおいては,準備期における低強度トレーニングによってベースとなる有気的能力(持久力)を高め,試合期に向けて徐々にトレーニング強度を高めていくことによって無気的能力(スピード)を向上させていくことが望ましいと考えられている。
この背景には、長きにわたり「疲労物質」とされてきた「乳酸」の除去および緩衝能力と有気的能力との関連性が指摘されてきたことや、有気的能力の形成・発達および残存時間が他の体力要素に比べて長いという特徴を有すると考えられている(Issurin et al.,2010)ことなどがあるといえるだろう。
しかしながら,乳酸が単なる自由拡散ではなく輸送担体によって積極的に運ばれて代謝が継続すると“Lactate Shuttle”のフレーム(Brooks et al.,1986)が提示されて以来,細胞膜からの乳酸の放出や取り込みに関与するトランスポーター(MCT)の存在や関与のメカニズム(Hashimoto et al.,2005)が示されるとともに、トレーニング強度によるMCT濃度の選択的応答の可能性(Juel,2006)なども指摘されている。
これらのことは、S選手のトレーニングにおいて、準備期から「速筋線維に遅筋線維の性質を合わせ持たせる」(八田,2009)ことを促すために、“Lactate Shuttle”を高速回転させるようなイメージで積極的な速筋線維の動員を図る(HITの重点化)という方向性に棹さすエビデンスでもあったといえる。八田(2009)は、「中距離選手には、強度を上げた状態での酸化能力や呼吸循環機能の向上が必要であり(…)持久走というようなLT程度の強度で維持するトレーニングと、スピードを上げて追い込むトレーニングとを“日を変えて”組み合わせていくのが総合的な持久的トレーニングである」と指摘しているが、インターバル・トレーニングは“日を変えずに”実施できる総合的な持久的トレーニングになり得ると考えるのは飛躍だろうか。
近年、目標とする複数の試合にピーキングするために、短期間のブロック(専門的かつ集中的な作業負荷を用いたトレーニングを行うメゾサイクル)を基本単位とするトレーニングステージを連続させるブロック・ピリオダイゼーション(Issurin et al.,2010)が注目を集めており、このコンセプトに基づいたトレーニングで成果を挙げている中長距離走者の事例も散見される。また、有気的能力(持久力)を効率よく向上させるためのSITの最適負荷を探る研究(Bangsbo et al.,2009;Gunnarsson et al.,2012)においては、一般人のヘルスプロモーションにおける有効性はもとより、短期間での準備を必要とするアスリートのトレーニングへの応用可能性(Coyle、2005)にも言及されている。
今後は、ブロック・ピリオダイゼーションをはじめとするマクロなトレーニング計画の中にHIT(SIT)を効果的に導入するための方法論の検討が課題になろうが、その際には、従来の期分け論において体力面(≒生理学的側面)への傾斜が顕著であることを踏まえたうえで,「技術・体力の相補性原理を包括する統合理論」(村木,2007)の構築を指向することが不可欠であることは言を俟たない。
<インターバル・トレーニングの相補性>
ザトペックは、1948年のロンドンオリンピックの10000mに照準し「200mを5回、400mを20回、200mを5回、合計10km。レースのスピードよりは速く、そのあとの回復はゆっくり200mを走り、次につなぐ」(山西,2008)というインターバル・トレーニングを実践し、見事に金メダルを獲得している。そして、4年後のオリンピックでは長距離種目(5000m,10000m,マラソン)三冠という偉業を成し遂げるに至るが、そのプロセスにおいてマラソンに照準した“400m×100本”なる究極の「反復トレーニング」を実践したとされるザトペックをして、「繰り返すだけでは復習しかないことと同じだと。予習,すなわち新しいことを習わなければ,進歩がない」(山西,2008)と言わしめるインターバル・トレーニングの本質とは何か。
技術・体力の相補性原理(村木,2007)とは,巧みな動きやよい動きに内在する「運動技術」について,運動課題を達成するために「生理的エネルギー(発生エネルギー)」を「力学的エネルギー(出力エネルギー)」に変換し,その力学的エネルギーを運動課題に応じて効果的に使うための運動経過(阿江,1996)として包括的に捉えるべきであるという指摘にほかならない。心理・技術・体力などに分けて切り出した個別のトレーニング負荷をいくら増しても,それらが有機的に重なり合う部分,すなわちその競技(種目)の特異性を踏まえた専門的トレーニングが実践されなければパフォーマンス向上は望めないが,心技体の相補性が考慮されたトレーニングを実践することによって,その効果を最大限に引き出すことが可能となるのである。

ザトペックのインターバル・トレーニングは、「目標とするレース(距離)」の走パフォーマンスの向上に照準し(特異性の原理)、「(レースのスピードより)少しでも速いペースで、少しでも長い距離を走る」ことを重視し(過負荷の原理、漸進性の原則)、多様な距離設定でピッチとストライドを変えながら」(意識性の原則)、急走と緩走を繰り返す(反復性の原則)というオーダーメイドのトレーニング(個別性の原則)として計画・実践されていた(山西,2008)という意味において、トレーニングの原理・原則に則った極めて合理的なトレーニングであるといえるだろう。優れた洞察力と高度な実践力を持つ創造的コーチや選手は、直感的に運動における体力・技術の不可分な一体としての相補性に気付いており、その可能性を巧みに活用している(村木,2007)のである。
レーニングの種類としての「技術」および「体力」トレーニングという区別は、あくまで便宜上の一面的な描写に過ぎず、運動による真のスポーツパフォーマンスやトレーニングの実体を示すものではない(村木、2007)。インターバル・トレーニングとは、ザトペックをはじめとする数多のランナー達が、心技体の相補性を踏まえた「予習的な実践トレーニングによって創り上げた芸術品」(山西,2008)であり、昨今このトレーニングの芸術性(有用性)が、運動生理学という切り口(観察)で「断片的に」明らかにされているに過ぎないのである。
<おわりに>
レーニングの本質は,種々の運動の反復による変化と安定の絶えざる更新であり,実践に有用なトレーニング理論を展開するには,まずその本質を相対関係として認識し,それらの関係性の変化もしくは契機についての理解を深める必要がある(村木、2007)。
したがって、HIT(SIT)を含めたトレーニング負荷(方法)の洗練化のためには、まず我々が「高強度(High-intensity)」と呼んでいるものの内実について客観的に整理・分類するとともに、走行距離や走速度などの「量的負荷」の無数の組み合わせに盛り込まれるべき「質的負荷(相補性)」をリアルに想定しながら、その実践プロセスについての科学的な検証および記述を積み重ねていく必要がある。

本号をもって、長らく編集委員長をお務めになられたK.K.先生が退任された。
編集後記の俳句が読めなくなるのはとても残念ですが、最終号に拙稿を掲載していただけたことは大変光栄です。
長い間お疲れ様でした。ありがとうございました。

モスクワ世陸・男子400mH決勝展望

moriyasu11232013-08-15

Men 400-Metres Hurdles Final Startlist
Lane1 Kerron CLEMENT(USA) 48.21(3組3着)
Lane2 Mamadou Kasse HANNE(SEN) 48.69(1組3着)
Lane3 Michael TINSLEY(USA) 48.31(2組1着)
Lane4 Felix SÁNCHEZ(DOM) 48.10(SB:3組2着)
Lane5 Omar CISNEROS(CUB) 47.93(PB:3組1着)
Lane6 Jehue GORDON(TRI) 48.10(1組1着)
Lane7 Javier CULSON(PUR) 48.42(1組2着)
Lane8 Emir BEKRIC(SRB) 48.36(SB:2組2着)
※準決勝記録および着順

昨年のロンドン五輪ファイナリストのうち5名(クレメント、ティンスリー、サンチェス、ゴードン、クルソン)が決勝に駒を進める一方、銀メダリストのグリーン(GBR)や五輪・世陸の表彰台常連のジャクソン(USA)らの有力選手が準決勝で敗退。
ロンドン五輪は、48.23秒で落選するなど準決勝通過の平均記録(準通記録)が48.09秒という稀にみるハイレベルとなったが、今大会は五輪および世陸における準通記録としては概ね標準的なレベル(平均48.23秒、最低記録48.69秒)に落ち着いたといえる。
1レーンのクレメント(27歳)は、05年ヘルシンキ世陸で為末大氏にラストでかわされ4位となった後、07年大阪世陸1位(47.61秒)、08年北京五輪2位(47.98秒)、09年ベルリン世陸1位(47.91秒)と順調にキャリアを積んでいたが、11年大邱世陸では準決勝で敗退し、ロンドン五輪では決勝には進むものの最下位(49.15秒)。ラストの直線の歩数切り替え(13歩→15歩)でもたつく癖?を克服できるか(今大会の準決勝はオール13歩)が表彰台への課題となるだろう。
2レーンのアンヌ(26歳)は、ロンドン五輪では準決勝で敗退(48.80秒)したが、今年のダイアモンドリーグ(モナコ)で48.50秒のPBをマークして4位に食い込むなど、好調を維持しながら初の世界大会ファイナルまで駒を進めてきた。
3レーンのティンスリー(29歳)は、世界トップレベルの実力をもちながらも一昨年まで王国アメリカの3人枠という高いハードルに跳ね返されていたが、全米チャンピオンとして初の世界大会出場を果たしたロンドン五輪では見事に銀メダルを獲得(47.91秒)。今年も全米選手権を制しており、王国アメリカの顔として今年こそは表彰台の中央に立ちたいところだろう。
4レーンのサンチェス(35歳)は、01年エドモントン世陸から04年アテネ五輪まで36連勝を果たして以降、度重なる故障に見舞われ47秒台の走りはもう難しいのではと思われていたが、ロンドン五輪では持ち味の“前半型”を見事に復活させて奇しくもアテネ五輪と同タイム(47.63秒)で金メダル獲得。ベテランらしく準決勝でSBをマークするなど、世陸本番に向けて上手く調子を上げてきた様子が窺える。
5レーンのシスネロ(23歳)は、09年ベルリン世陸(49.21秒)、11年大邱世陸(50.10秒)、ロンドン五輪(48.23秒)でいずれも準決勝敗退。今大会では準決勝で47.93のPBをマークし初めてファイナルまで駒を進めてきており、好記録をマークしながら惜しくも決勝進出を逃したロンドン五輪の鬱憤を晴らすレースが期待される。
6レーンのゴードン(21歳)は、ファイナリスト最年少であるが、10年世界ジュニアで安部孝駿選手の追撃をかわして優勝(49.30秒)する前年の09年ベルリン世陸において既にファイナリストの仲間入りを果たしている(4位:48.26秒)。その後、11年大邱世陸では準決勝敗退(49.08秒)、ロンドン五輪では準決勝で初の47秒台(47.96秒)をマークするものの決勝は6位(48.86秒)と、あと1歩のところで表彰台を逃し続けている。今季は直前のダイアモンドリーグ(モナコ)を48.00秒で制するなど安定感も増しており、シニア初の表彰台はもとより金メダル候補の最右翼といっても過言ではないだろう。
7レーンのクルソン(29歳)は、09年ベルリン世陸(48.09秒)と11年大邱世陸(48.44秒)で銀メダル、ロンドン五輪でも銅メダル(48.10秒)を獲得するなど今や表彰台の常連選手。今季はロンドン五輪前に47秒台を複数回マークしたような勢いはないが、前半から積極的なレースを展開して内側の選手達を焦らせることができれば十分チャンスはある。
8レーンのベクリッチ(22歳)は、ゴードンや安部孝駿選手も出場していた10年世界ジュニアで7位(51.06秒)になって以降、11年大邱世陸(49.94秒)、ロンドン五輪(49.62秒)ともに準決勝敗退しているが、今大会の準決勝で昨年までのPB(49.21秒)を大幅に縮めて(48.36秒)見事にファイナリストの仲間入りを果たした。
というわけで、最年長と最年少の歳の差「14歳」というのは相変わらずだが、サンチェス以外は全員20歳代で、3名の選手が世界大会ファイナル初出場を果たすなど、五輪翌年の世界陸上らしい新旧交代を予感させる顔ぶれとなった。
ここで神をも畏れぬ恒例?の順位予想。

1位 Jehue GORDON(TRI)
2位 Michael TINSLEY(USA)
3位 Felix SÁNCHEZ(DOM)
4位 Omar CISNEROS(CUB)
5位 Javier CULSON(PUR)
6位 Emir BEKRIC(SRB)
7位 Kerron CLEMENT(USA)
8位 Mamadou Kasse HANNE(SEN)

当たるも八卦、当たらぬも八卦
八(8)人で走るレースの行方の予想することの愚を言い当てた表現ともいえる。
レースは日本時間の16日早朝(2:00am)スタート。
お見逃しなく!

健幸華齢の実現に向けて

moriyasu11232013-08-13

平成21〜23年度に実施された日本体育協会スポーツ医・科学研究事業「高齢者の元気長寿支援プログラム開発に関する研究プロジェクト(班長田中喜代次氏)」の成果をまとめた書籍が発刊された(研究概要はコチラ→第1報第2報第3報)。
書籍のタイトルは『健幸華齢(Successful Aging)のためのエクササイズ』。
今日現在、全国官報販売協同組合および日体協ホームページ(特別価格)より購入可能である。
「サクセスフル・エイジング(Successful Aging)」は、「疾病や身心の機能低下と上手につきあいながら、豊かで張りのある老年期を送ること(を願う)」という意味をもつが、本書では、それをさらに発展させた言葉(訳語)として「健幸華齢」を提示している。
本書の要諦は直接手にとってご確認いただくとして、本の売り上げには影響しないであろう拙稿を再録する。

はじめに
2011年7月、日本体育協会(以下、本会)は、スポーツの21世紀的価値やスポーツ界が果たすべき使命を謳った『スポーツ宣言日本〜21世紀におけるスポーツの使命〜(以下、スポーツ宣言日本)』を発表しました。
この「スポーツ宣言日本」には、『自発的な運動の楽しみを基調とする人類共通の文化である』というスポーツの定義が示されており、さらに『スポーツのこの文化的特性が十分に尊重されるとき、個人的にも社会的にもその豊かな意義と価値を望むことができる』と続いています。
一般に「文化」とは、「人間が単なる生物的存在以上のものとして生の営みをより良きものとするために、所与の社会において世代から世代へと創造的・発展的に受け継がれる行動様式の総体」と捉えられています。したがって、私たちの社会におけるスポーツが、「Quality of life(QoL:カラダの質、生活の質、人生の質)」の充実をもたらす「文化」として、世代から世代へ創造的・発展的に受け継がれ、その文化的機能を豊かに発揮しているかが問われているともいえるでしょう。
以下では、「スポーツ宣言日本」に則り、「自発的な運動(エクササイズ)」を含む広義のスポーツ定義を採用しながら、「健幸華齢(健康+幸福+元気長寿)の実現」に向けた本会の役割と課題について考えてみたいと思います。
「健康加齢」から「健幸華齢」へ
世界保健機関(WHO)は、1946年の憲章草案における「健康」定義の中で「個人の権利や自己実現が保障され、身体的、精神的、社会的に良好な状態」にあることを意味する「well-being(ウェル・ビーイング)」という概念を打ち出しました。この背景には、一部の社会的弱者のみを援助するという従来の福祉の考え方を超えて、より多くの人々の人間的に豊かな生活を支援する多様なソーシャルサービス構築への意識があると考えられます。
また、1960年代には、より広い視点からみた健康観、すなわちどれだけ自分らしい生活を送り、人生に「生きがい」や「幸福」を見出しているかをとらえる概念(尺度)として「wellness(ウェルネス)」が提唱されました。この概念は、個々人の人生および社会的にみたQoLの向上または保持のためには、スポーツやレジャー、レクリエーションのみならず、労働、福祉、教育から、環境、医療、栄養、さらには宗教や心理に至るまでの、多面的・多次元的なアプローチが必要であることを示唆しているといえます。
明治以降に西欧から輸入されてきた「スポーツ」という文化には、行政や教育機関が「先導・主導」しながらスポーツ活動を盛んにするという「振興」を目指してきた経緯があります。同時に、そのスポーツ「振興」の成果は、社会的な動向(流行)に左右されたニーズを一時的に満足させるための、または仕事の合間(余暇)を補完するための、あるいは健康の維持・増進のための「手段」としてのスポーツの「必要性」に支えられてきた側面もあります。
一方、明治以前の我が国には、身体そのものを含む「自然」の流れを重視する「養生」という概念がありました。治療困難な疾病が多かった時代は、生活習慣や食事に気を配り、身体の声に耳を澄ませながら生きることは当たり前であり、現代よりも身近に存在していたと思われる「死」を達観した「死生観」なども数多く書き記されています。
その代表例ともいえる貝原益軒の「養生訓」には、「道を行い、善を積むことを楽しむ」、「病にかかることの無い健康な生活を快く楽しむ」、「長寿を楽しむ」という養生の視点からの「三楽」が示されています。「訓」というやや固いタイトルが付けられていますが、その冒頭に「楽しむこと(三楽)」が掲げられ、生活に密着した実践や経験から導き出された「身体の養生」のみならず「こころの養生」も説かれているところに「養生訓」の本質があると考えられます。
本書のタイトルに掲げられた「健幸華齢」のそれぞれの文字には、「【健・けん】すこやかなこと。体が丈夫なこと。盛んに行うこと。」、「【幸・こう】さいわい。しあわせ。かわいがること。繁栄。」、「【華・か】美しいこと。盛りであること。時めくこと。はなやかなこと。みごとなこと。」、「【齢・れい】生れてからこの世に生きている間。とし。年齢。」などの意味が付与されています。
これらの文字の意味内容を重ね合わせつつ、人は生涯を通して発達していく存在であるという「生涯発達」の考え方を踏まえれば、「自発的な運動の楽しみ」を基調とするスポーツを通した個人的・社会的ウェルネスの実現、すなわち「健幸華齢」の実現に向けた人々の自発的・自治的なスポーツ活動を後押しするという「推進」が求められているといえるでしょう。
「健幸華齢」を支えるコミュニティの構築に向けて
これまで以上に情報化と都市化の進行が予想される社会においては、生活の責任主体としての地域の参画が不可欠であることはもちろん、人々の自発的なスポーツ実践を促すという点でも、スポーツに内在する「公共性」の活用による新たな「共同体(コミュニティ)」の創造や再構築が求められているといえます。
ここでは、「他者」という言葉を「他人」や「他己」と対比させることにより、スポーツの持つ「公共性」について整埋してみます。
例えば、たまたま電車に乗り合わせた乗客同士は「知らないので関わらない人=他人」になりますが、この「他人」との関係では「共存のための秩序」を暗黙の前提にした「ルール」にもとづく「規範性」がカギになります。
一方、家族や友達などは「知っているので関わる人=他己」であり、この己の世界にいる「他己」との関係では「親密さ」にもとづく「共同性」がカギになります。
この「他人」と「他己」との間にいる「知らないけれども関わる人=他者」との関係こそが、「ルール(規範性)と親密さ(共同性)」の両義的な「あいまいさ」の中にある「社会性」という言葉の実質であり、スポーツにおいても極めて重要な関係性であるといえます。なぜなら、スポーツの語源である「プレイ(遊び)」の要素は、ルールに基づいた親密さの中で競争・協働する「他者」との関係なしには生まれないからです。このような関係性を内包しているからこそ、スポーツという文化は、ときにコミュニティの構築に貢献し、ときに人生の意味をもたらすものにもなり得るのでしょう。
「公共性」が「私」の対語としての「みんな」を意味するとすれば、スポーツに内在する公共性とは「みんな=他者の集まり」性と捉えられることから、人々の自発的・自治的なスポーツ活動を推進するためには、「他者の集まり」を可能にする諸条件を探る営みが不可欠になります。
この「みんな=他者の集まり」という形で人々がつながる道筋として、社会的な課題に対して「みんな=他者の集まり」で取り組む活動を通したコミュニティの創造や再構築を促す「ソーシャル・ソリューション」という考え方があります。
2012年3月に文部科学省が策定した「スポーツ基本計画」には、政策課題として「年齢や性別、障害等を問わず、広く人々が、関心、適性等に応じてスポーツに参画することができる環境を整備する」こと、政策目標として「住民が主体的に参画する地域のスポーツ環境を整備するため、総合型地域スポーツクラブ(以下、総合型クラブ)の育成や指導者および施設の充実等を図る」ことが謳われています。総合型クラブとは、種目の多様性、世代や年齢の多様性、そして技術レベルの多様性という3つの多様性をもち、日常的に活動の拠点となる施設を中心に、会員である地域住民の多様なニーズに応じた活動が質の高い指導者のもとに行えるスポーツクラブです。言い換えれば、内輪で楽しむ「私益」ではなく、地域住民に開かれた「公益」を目指した非営利的な組織といえますが、本会もこの総合型クラブをはじめとする地域スポーツクラブのもつ「ソーシャル・ソリューション」機能に着目し、その育成・支援を重要課題としています。
スポーツの持つ意味や価値が多様化し、「福祉」や「幸福」という社会目標としての重点化も進む中で、スポーツに内在する「みんな=他者の集まり」性を活用した新しい「コミュニティモデル」の構築が求められているといえるでしょう。
「健幸華齢」の実現に向けた本会の役割
今日、超高齢化と少子化が同時進行している我が国では、「老老介護」、「認認介護」、「閉じこもり」、「虐待」、「孤独死」などの社会問題を指し示すキーワードがメディアで踊っています。また、そう遠くない将来、虚弱者、要介護者、寝たきり者が現在の3倍程度に増えていくことが予想されており、要介護者をケアする人手不足も想定されることから、個人や家族、さらには地域社会のQoLにも多大な影響を及ぼすことが危惧されています。
このような多様かつ複雑な社会問題に対して、スポーツはどのような貢献が可能なのでしょうか。
本書の代表編者である田中喜代次氏は、一人でも多くの人の「健幸華齢」を実現するためには、元気長寿に不可欠な「運動を柱とした適切な生活行動の習慣化を自覚すること(個の覚醒)」を引き出し、それが家族、職場、そして地域の覚醒へと波及するよう支援していく必要があると述べています(本書「序」参照)。
また、太田仁史氏は本書の巻末で、「一人の100歩より百人の1歩」というフレーズを援用しながら、一人でも多くの人が「死」の間際まで自立(≒自分で立てる)した生活を送ることが「華齢」プロセスの有終の美を飾ることになると指摘しています。
かつて福沢諭吉は「一身独立して一家独立し、一家独立して一国独立し、一国独立して天下も独立すべし」と述べましたが、前述のお二人の指摘と重ね合わせれば、一人でも多くの人の覚醒と自立(≒自分で立てる)を促すことが、家族や社会(国)の覚醒と自立、さらにはグローバル(天下)な覚醒を促すことにつながると捉えられます。
したがって、本会をはじめとするスポーツ界には、「自発的な運動の楽しみ」を基調とするスポーツによって得られる自己満足を自己実現に成熟させ、さらにそれを社会的貢献へと波及させることを意識した取り組みが求められているといえるでしょう。
本会では、多様なスポーツライフスタイルの形成を促すための科学的エビデンスを提供することを目的として、約50年もの長きにわたって250を超えるテーマによる「プロジェクト研究」に取り組んできています。プロジェクト研究では、ある「問題(テーマ)」を共有した専門領域の異なる複数の研究者が、それぞれの立場や関心に基づいた研究の成果を共有するという「学際的(inter-disciplinary)研究」のスタイルが一般的ですが、近年は、人々の生活や社会の要請によって規定された「問題解決(最適解)」の共有を目指す「学融的(trans-disciplinary)研究」の重要性も指摘されています。
この「学融的」な研究プロジェクトにおいて最も重要なことは、研究の目的が「何が、どちらが正しいか(正解)」ではなく「どうすれば(関係者相互に)満足できる結果が得られるか(最適解)」の共有にあること、そして最適解を導くためには「問題を専門分野別に切り刻む」のではなく「問題に合わせて専門分野のほうを切り取る」という視座に立った研究の実践が必要であることについての共通理解にあるといえます。
とりわけ、生涯にわたってスポーツ「のある(=をする、みる、支える等)」暮らしや生き方を「通した」コミュニティ構築の可能性をリアルに追究するためには、「競技スポーツと大衆スポーツ」、「市民と行政」、「学校と地域(家庭)」、「予防と処方」、「生きがいと健康(体力)」、「都市と地方」など、人々の生活シーンにおける接合面、すなわち草の根(グラスルーツ)へのアプローチによる「知識生産」が必須です。
本会のスポーツ医・科学研究には、上記のようなグラスルーツにおける研究の積み重ねによって、より多くの人の「健幸華齢」の実現に寄与するという役割を担うことが求められており、本書はその端緒であるといえるでしょう。
2013年5月30日 拙稿「健幸華齢の実現に向けてスポーツが果たすべき使命とは?─日本体育協会の役割と課題─」より

本書が、豊かなライフスタイルの構築に貢献する運動(スポーツ)の魅力や有益性についての理解を促し、一人でも多くの方の「健幸華齢」実現の一助になれば幸いである。

為末vs川内ふたたび

moriyasu11232013-08-08

8月6日の日刊スポーツ紙「為末大学〜ニッカンキャンパス〜」に、為末大氏の川内優輝選手に関する論考と本人へのインタビューが掲載された。

2年前、川内君が勤務する春日部高校の文化祭で初めて話す機会があった。実業団に属さず、公務員として走っているという肩書の物珍しさの方が先行している存在だった。僕も市民ランナーとしてのバックグラウンドには興味を持ったものの、選手としての彼にはさして関心はなかった。
ところが、いざ話をすると印象は一変した。自分がなぜこういう練習方法をしているかという説明が明快で、しかも自分の頭で考えた形跡があちこちに見える。あれから2年たち、成績を出し続ける彼は陸上界にとってもはや“きわもの”ではなく、新しいスタンダードを生み出しつつある。
(2013年8月7日 日刊スポーツコム「為末大学 〜ニッカンキャンパス〜(川内はキワモノではない)」より抜粋)

光栄なことに、小生は、冒頭で触れられている二人の初対面の場に居合わせている。
諸般の事情により初対面のぶっつけ本番となった2年前のトークショー?の概要を以下に示す。

<両氏による相互質問>
為末氏 一番大事にしている練習はなにか?
川内氏 これという練習があるというよりは、5日の練習と2日の休養の流れを崩さないことを重視している。
川内氏 多岐にわたる活動をされているが、そういう発想はどこから生まれてくるのか?
為末氏 面白いこと、普通じゃないことが好き。川内さんもそうだが、かつて例がない。世界大会をみてもプロ選手ばかり。会社を立ち上げたのも、仕事のキャリアを持ちながら競技も続けていく普通じゃなさが面白いと思った。なかでも、陸上競技は一番面白いので今も続けている。
<与えられた条件(制約)での工夫について>
為末氏 ある「制限」のなかでどのように工夫すれば一番効率が上がるかを考え始めると、常識を疑わざるを得なくなる。長距離では「走り込み(走行距離)」が重要といわれるなかで、川内さんもそれを疑わざるを得なかったはず。そういう人を見ながら、何を考えているのか考えたりするのが面白い。
川内氏 仕事との両立である意味「制限」されているからこそ、限られた時間に集中できたり、走りたいという気持ちを強く持つこともできるが、常識を疑う必要も出てくる。例えば、長距離では1日に2回以上練習するのがスタンダードだが自分は1回しかできないし、高地トレーニングが当たり前というなかで「山ごもりトレーニング」などを行っている。陸上界で常識と思われていることに対しては、常に疑いの目をもっている。
<指導者不在について>
川内氏 昨年の夏までは大学時代のコーチとマンツーマンに近い感じでやっていたが、体調を崩したこともあって自分の中で「やりたい」という気持ちを大事にしようという思いが沸いてきた。自分ひとりでやるようになって、ますます陸上が愉しくなってきたし、今まで以上にいろいろと考えるようにもなった。
為末氏 「守・破・離」のような感じだと思う。生徒の皆さんも、恐らく10年くらい経つと、いま習っていることを否定するために考えるというような「殻」を破ろうとする瞬間というのが来ると思う。でも、殻がなければそれを破れないということもある。
川内氏 「面白くやりたい」というのが強い。(一人になって)何が変わったかといえば、「一人になって一人じゃなくなった」ということ。マンツーマンのコーチングから離れて、いろいろな人たちと一緒に切磋琢磨しながら走れるようになった。
<スポーツによる生活>
為末氏 ハードルのことを考えている感じと、会社や仕事のことを考えている感じにそれほど違いはない。これから10年くらいの間に、スポーツと仕事の垣根がどんどんなくなっていくのではないか。自分の場合は、全てがスポーツという感じ。いろんな事を学んだら、それを全部スポーツに突っ込んでしまえという感じ。
川内氏 「仕事」と「スポーツ」の間には明確な境界線があるが、陸上競技が生活の一部になっていることは事実。歯を磨いたり、風呂に入るのと同じような感じで走り続けていきたい。
(2011年7月11日 拙稿「サイエンスと科学(その3)」より抜粋)

「一人になって一人じゃなくなった(by川内選手)」という名言に唸ってから2年の歳月を経て、二人の再会が実現したというわけである。
冒頭記事の続きである為末氏の川内選手考を以下に示す。

論理的思考
まず、自分で自分のやっていることを説明できる客観性を持っている。愚直、真面目、必死というイメージを持たれている彼の口から「効率的」「選択」「努力しても意味がないものはやらない」という言葉がどんどん出てくる。2年前、そのギャップに驚いた。
一見奇をてらうようなやり方をしている場合、大きく分けて2種類の選手がいる。1つは周囲の注目を集める目的で派手なことをやる選手、もう1つは常識を1回取っ払ってロジカルにつめていった結果、今までの常識から外れたものにたどり着いた選手。話をしてみると、常識外れを意識しているのではない。むしろ自身の体験から、常識からいったん離れてコツコツと考えて積み上げてきた彼にとっては、常識的なやり方だという印象を受ける。
例えば「なぜ試合にたくさん出るのか」と聞くと、「マラソンは経験の種目で、レース展開への対応、ペース配分など長くやってみなければわからないことがある。いくら実戦形式の練習をしても練習は試合になり得ないから、試合経験を重ねていくのが結局、マラソンランナーとして成熟する一番の近道」だと言う。
練習量が少ないことについては「練習量が多すぎると疲れた状態でトレーニングをすることになり、走り過ぎでバネもない。けがのリスクも高く、練習効果も低い。それぐらいだったら練習量を抑えて、それぞれの練習効果を高め、試合を練習化していった方がいい」と答える。常時そんな風に、すべての自分の行動に考えた形跡が見える。
極度な集中力
論理的であり、自分の姿を客観的に見られる一方で、いったんスイッチが入ると極端な集中状態に入るように見える。インタビュー中に自分の世界に入り、勢いよく話し続けて、ふと我に返るということがある。こういう集中状態に入る選手は時々いる。白人で唯一100メートルを9秒台で走っているフランスのルメートルも、試合前に相当な集中状態に入る。一度レース直前にグラウンドで見たことがあるが、周囲は目に入らず、まるで自分しかそこにいないという風だった。
一見すると陸上競技は身体の限界との戦いに思えるけれど、まず自分にブレーキをかけているのは脳であり、心理面だ。人間が本当に持っている力を出しすぎると危険だと脳が判断し、ブレーキをかける。禁止薬物に興奮剤やホルモン剤が含まれているのも、自分自身の脳のリミッターを切ることを目的にしている。恐れ、緊張、注意の散漫、さまざまな心理的理由でパフォーマンスは落ちる。
球技などチーム競技であればある程度、客観性が必要になり、自分自身に浸りきる訳にはいかない。だけど陸上のような個人競技なら自分の力を出し切ることが重要だ。その点において集中しきれる選手は強い。彼がレース後に興奮してまくし立てる姿を見ると、どうも自分の世界に入り込んで集中しきるという能力が高いのではないかと思う。
反骨精神
なぜ川内君は公務員ランナーというやり方を選ぶのか。実業団はおろか、プロとしても十分やっていけるほどの実力も人気もありながら、彼は公務員であり、市民ランナーである自分の立場にこだわっている。質問すると「既存の実業団中心の長距離界に対し、自分のような市民ランナーが活躍することで次の世代に新しい選択肢を作りたい」という答えが返ってきた。
実業団スポーツは、競技者がフルタイムでトレーニングしなければ戦えないというのをベースに仕組みが作られている。大体一つの駅伝チームで年間2、3億円ぐらいかかり、選手はほぼ会社の業務には関わらず、競技だけを行っている。年間の合宿も数回あり、その予算は小さくない。
ところが彼は日常の仕事の合間にトレーニングをする。合宿は休日に行い、試合に出場する時ですら有休を取る。それで並みいる実業団を抑えて代表に選ばれる。その存在自体が、強烈な陸上長距離界へのアンチテーゼになっている。
今、日本のスポーツ界にはドンキホーテは少ない。川内君のようなやり方は教科書的ではない。彼はうまくいったけれど、もちろん同じようにやって失敗する人もたくさんいるだろう。けれどもそうやって多様なやり方で挑む選手が多ければ、その中でハマった選手が世界的に活躍することがある。彼には学生の頃に「自分は主流ではなかった」という思いが強くある。そして高校で活躍できなければ箱根駅伝には出られず、箱根に出られなければ実業団に入れないという大きな流れに対し、カウンターとしての自分を強く意識している印象を持った。
独学の人
僕にとって、彼は独学の人である。公務員試験に独学で受かり、レースを中心に調整するという手法を独学で生み出した。自ら実践する人であり、自らの体験から学ぶ人である。なぜこれほど目立ち活躍できるのかという背景には、市民ランナーということもあるだろうけど、自ら学ぶ人がスポーツ界に少ないことを意味しているのではないか。
川内君のやり方が万人にとって正しい訳ではないだろう。けれど残念ながら彼のように常識を疑えて、実験をできる選手はそんなに多くない。とくに常時チームとして結果を出さなければいけない実業団では、リスクを取って冒険するよりも、既に行われてある程度成果が認められている手法を選びがちなところがある。皮肉なことに、過去に行われた手法から学べることは少なく、結果として学びは小さくなる。
常識とは何だ。本当にいいトレーニングとは何だ。自問自答しながら彼は走り続けるだろう。そしてチャレンジするたびに、何かを学んで成長していく。自ら考え学べる選手を作る。それが今スポーツ界が面しているさまざまな問題を解決する上で一番、重要な事だと思う。
(2013年8月7日 日刊スポーツコム「為末大学 〜ニッカンキャンパス〜(川内はキワモノではない)」より抜粋)

上記の論考には、為末氏が自身の現役時代を重ね合わせながら川内選手の特徴をつかもうとしている様子が垣間見える。

後に続く選手のために「目標は6番」
為末 2年ぐらい前だっけインタビューしたの。あれから強くなったでしょ。
川内 そうですね、経験も積んで、より陸上が面白くなってきました。
為末 男子マラソン代表は5人いますが、自分の立ち位置というか、自分はどんなキャラクターなのか?
川内 ボクは全員とレースで戦っているので、たぶん、レース展開によって、どの選手と一緒に走った方がいいのかとか、うまく影武者みたいな感じで、場合によっては仕掛けて行くこともあるし、サポート役もあるし、いろいろと応用できる選手かなと思います。
為末 今までライバルだった選手ともチームワークで戦ってみたい、こんなレースをしたいというのは。
川内 勝負どころで誰かが仕掛ける思います。そこから先は別問題として、そこに到るまでは各自の選手が、足や気持ちを温存する方がいいと思う。例えば給水を失敗してしまったら近くの選手で融通し合うとか。前回(韓国の)大邱大会でもケニアの選手が普通にやっていたことで、日本もやればいいのにな、と思っていた。集団がばらけた時もお互いに引っ張り合いながら、前を追うことも十分できる。展開に応じて、うまく協力し合えれば、いい結果が出ると思います。
為末 タイムや順位でなくてもこんなことを学んでみたい、もしくは見てる人に見せたいというレースへの意気込みがあれば。
川内 目標は6番。それは絶対に達成したいし、そうなればマラソン界に違った動きが出てくる。後に続く選手にも選択の幅が広がると思う。1つの路線より、いろいろな幅があって、川内みたいにやってみようとか、実業団みたいにやってみようとか、藤原(新)さんみたいにプロでやってみようとか、選択肢があるともっともっと才能の芽というか可能性が広げられる。そのきっかけになるような走りをしたい。
為末 新しい選手が出てきたぞというのを日本、世界に見せたい。
川内 はい。
為末 今から出勤?大変ですね。でも、そのスタイルはいい。こんな形はスポーツ界、特に陸上界はなかったけどいろいろなやり方があって。それを選手が選べる、重要なことです。
川内 まあボクの場合は、セカンドキャリアの問題が発生しないので。
(2013年8月6日 日刊スポーツ「為末大学 〜ニッカンキャンパス〜(川内はキワモノではない)」より抜粋)

男子マラソンは日本時間の8月17日20時半スタート。
お見逃しなく!!